STUDIO LIFE 『じゃじゃ馬ならし』

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資産家バプティスタの二人の娘、姉キャタリーナは気が強く口をひらけばガミガミ怒鳴ってばかりのじゃじゃ馬娘、妹ビアンカは姉とは正反対に淑やかで優しく美しい娘。この妹に求婚する者が連日バプティスタ家におしかけてきていた。しかし、バプティスタは姉が結婚しない限り妹は誰にもやれないといって、家のなかに閉じ込めてしまう。
姉を結婚させてしまえばよいと考えた求婚者の一人ホーテンショーは、豪傑な友人ペトルーチオにじゃじゃ馬の姉娘を妻に推薦し、ペトルーチオは持ち前の強引さで嫌がるキャタリーナと結婚してしまう。そして里帰りの日、すっかり大人しくなったキャタリーナに周囲は驚愕する。一方、ビアンカをめぐる恋の争奪戦も佳境を迎えていた・・・。

ウィリアム・シェイクスピアとは……
イギリスを代表する劇作家である、ウィリアム・シェイクスピア。
その生い立ちは、彼の生きていた時代の資料が非常に少ないことから長らく謎とされていました。
シェイクスピア複数人説や、シェイクスピア別人説などがあがっていることからも謎の多い人物であることがうかがえます。
しかし、近年、彼の作品の熱心なファン達(研究者)による地道な研究により、厚く閉ざされていたベールも少しずつ開かれていき、残された作品以外の謎とされていた多くの部分が明らかにされています。
1564年にイングランドのストラトフォード・アポン・エイヴォンに生れたウィリアム・シェイクスピア。
父親は成功した皮手袋商人であり、町長に選ばれたこともある市議会員で、母親は、裕福な豪農のお嬢様でした。ウィリアム自身も幼い頃は何不自由ない生活をしていたと思われます。
しかし、ウィリアムが思春期の頃に、父親がとある闇市の関わっていたことから起訴されてしまい、市議職を失ってしまいました。それまで裕福だった家庭は徐々に傾き、当時在籍していたグラマースクールも中退する憂き目を見ているのです。
人生の早い段階でこうした経験をしたウィリアムだからこそ、人間の、または人生の光と影を内包した多くの作品が描けたのかもしれませんね。
ウィリアムが18歳になった1582年に8歳年上のアン・ハサウェイという女性と結婚をし、長女スザンナ、男女の双子の長男ハムネット、次女ジュディスという3人の子宝にも恵まれました。しかし、長男ハムネットは1596年に幼くして亡くなり、最終的にウィリアムの子供は長女と次女の2人でした。
その後、ストラトフォードからロンドンに転居したウィリアムは、1590年頃より俳優をしながら数々の戯曲を手がけ、1592年には嫉妬に駆られた他の作家から中傷されるほどの名声と成功をおさめていました。さらにウィリアムは大貴族お抱えの一座として知られる劇団の共同所有者となり、その劇団は国王がパトロン(庇護者)になることを約束するほどの大人気劇団となっていきました。
人生の華やぎを思う存分生きたウィリアムは、晩年は生まれ故郷に戻り、余生を静かに送ったそうです。
そんなシェイクスピアの生きた時代をかいま見られる作品が、近年映画化された「恋に落ちたシェイクスピア」(1998年、監督:ジョン・マッデン)です。